誰が書いたのかはわからないが明らかに意図して書かれた矢印。用がなくなって所々消えかけている道筋。日頃路上でよく見かける矢印をたどり始めてしまったとき、我々は考古学的世界に入り込んでいるのである。白墨で書かれた矢印は半日程で薄れていくのであるが、消えかけている矢印は考古学上の遺跡である。そこでは一日が一つの時代になり、矢印によってつながれた道筋はその時代から残される文明の道筋となる。遺跡は、消えていくことによってその時代の体系を後に残すことになる。それは、時代によって限定された歴史記述を虚構として再生産するような物語の反復可能性なのである。そして、この反復可能性によって、矢印は歴史記述のただ一本の線を永久にたどり続けることになる。文化や歴史や進化の本体である記号の連鎖は、それが途切れたり桁数を制限されない限り、無限の組み合わせを作り出す。一つ一つの記号の選択が完全な偶然性によるものでなくても、組合せの数が際限なく加算を続けるならば同じことである。記号の連鎖は、その先に無制限に増殖する一次元の有限な配列であり、表面的には分岐と合流との複雑な絡み合いを繰り返しているように見えても、実際にはその都度ただ一本しかない線分である。そして、世界はそのただ一本の増殖する線で構成されている。
1 白墨による矢印の連鎖
町に直接描かれた線は、数時間たつと時間の作用で程良く風化した古典的な作品となり、半日程で痕跡が途切れた考古学的な遺跡となる。数日たって完全に消えたとき、矢印は我々の遺伝子に書き込まれている。そこから改めて行き着くところを失った足跡が次々に産み出される。その後の進化の模型は、固定した矢印による平面作品と、流動する矢印による電算機の画面で見ることができる。
|
矢印
|
場面
|
2 固定した矢印による平面作品
乱数の発生を組み込んだ手続きにより、連続した矢印の軌跡が作り出される。本来残るはずのない物語の残余である。このあまりにも小さな痕跡が、それ以外の膨大な量の軌跡を背後へ無制限に消し続けている。そして、一つ一つの矢印には時間とともに荷重がかかって行き、矢印はいつの日か底が抜けて突然消えてなくなる。だが、その現場を目撃するのは難しい。
|
写真1
|
写真2
|
3 流動する矢印による電算機の画面
百五十年間毎日異なった初期条件を元に、無限の連鎖を生成することのできるプログラムにより、連続した矢印の流れが表示される。波打つ矢印に身を任せていると、次第に身体全体が下へ下へと沈んでいく。いや違う、流れを遡って自分自身が上へと昇り始めたのだ。百五十年間の未来に向かって、我々は予言者となった。際限のない積み重ねは最も確かな予言だからだ。
|
写真1
|
写真2
|
|
|