俳句形式の起源
ORIGIN OF HAIKU-FORM
1995 Furuya Toshihiko


 図書館用文献目録用紙を各々千枚づつ収納した三台の箱が別々の部屋に置かれている。すべての目録用紙には、電算機で合成された俳句が張り付けられており、三千枚を通して五十音順に並べられている。いちばん奥の部屋には、俳句を合成して次々と画面に表示する電算機が設置されている。文字連鎖は明らかに有限の組み合わせによるが、既に生産されて保存されている組み合わせといまだ生産されていない残りの組み合わせという二つの領域の関係が、無限の量の幻想を与えてくれる。我々の文字連鎖に対する判読あるいは生産の速度と容量が一定の範囲に収まっていれば、その幻想は永久に失われることはない。俳句という形式は、最も単純化するとおよそ七十ほどの仮名を十七文字組み合わせてできている。確かに組み合わせの数は有限である。しかし、単純に計算すると、最初の二文字で既に約四千九百通り、三文字で約三十四万通り、四文字で約二千四百万通り、五文字で約十六億八千万通り、十七文字全部では約二十三かける十の三十乗通りにもなる。容量に直すと、二文字で約百六十七キロバイト、三文字で約十二メガバイト、四文字で約八百十六メガバイト、五文字で約五十七ギガバイト、十七文字全部では約七十九かける十の二十二乗ギガバイトとなり、我々の能力と技術をはるかに越えた量であることがわかる。たった十七文字の定型の組み合わせですらこのような状況なのだから、文字数が限定されていない場合は組み合わせの数は無際限に増えて行き、その先に無限という幻想が作られることになるのである。ただ、このような組み合わせの数の多さは、実際には大した意味はない。むしろ、既に生産された組み合わせの数が有限であり、文字の桁数が現実的に保証されることによって、組み合わせの現時点での数が保証され、その先に無限の幻想が保証されているということの方が重要である。連鎖構造として再生産される文字の集積は、我々の意識を背後で強力に支えている。その文字の量が、感覚的な鈍い重量として把握できなければ、非常に危険な事態をまねくであろう。それは単なる消耗品ではなく、際限もなく残存する保存性、即ち決してなかったことにできない最も強力な廃棄物であり、我々にとって欠くことのできない重要な足枷である。