1929年に始まったシリアの地中海沿岸にあるラス・シャムラの発掘により、千枚を越える知られていない楔形文字で書かれた粘土板文書が見つかった。文字の形は、それまで知られていたシュメール・アッカド文字などの楔形文字とは全く異なるもので、字の種類も三十文字しかないことから、いわゆるアルファベット文字であることはすぐに類推された。その文字は比較的早く解読され、1931年にはほぼ読めるようになっていた。発掘調査と文書解読の結果、その遺跡は、紀元前十四世紀から十三世紀にかけての都市、ウガリトの遺跡であることがわかった。現在その文字は、古代の都市名に因んでウガリト文字と呼ばれている。ウガリト文字は、いわゆるアルファベット文字の最も古い実例である。それは、紀元前六世紀頃の古代ペルシャ語の楔形文字による音節文字よりも古い。ただ、この文字はいわゆるアルファベットの起源というわけではなく、パピルス等を支持体とする様々な原アルファベットがあり、それらのうちのどれかが楔形文字に移植されたというのが、現在の定説となっている。粘土板に葦の茎で作られた尖筆を押しつけて文字を書いた楔形文字の文書は、三千年以上の間、書かれたものの基本的な形だった。ウガリト文字は、文書の支持体の主流が粘土板からパピルスに移行する前の長い共存状態の中で、文字の支持体がパピルスから粘土板に逆行したものと考えることができる。
この作品は、三十文字のウガリト文字を、算術乱数によって連鎖させ、粘土板文書の形に構成したものである。ウガリト文字は、ほとんど子音しか表記しないため、ヘブライ文字を並べ替えていくカバラのような作業が可能である。二文字から四文字ほどで一語を表記し、分離記号を挿入する。そのようにして機械的に作られた文字列は、読み上げることもできるし、母音の補い方次第では、意味を読みとることもできる。ただ、この文字は、ほぼ百年間しか使われた形跡がなく、歴史的にも孤立している。文字の変遷の流れに逆らって消えていった非常に特殊な文字体系である。つまり、時代と共に人々に文字として認識され、意味の発生の場として継承される技術とは全く反対のものである。楔形文字による文書自体、粘土板が文字の支持体として使われなくなってほぼ二千年たった現在、専門家以外にほとんど意味のあるものとは見えないのであるが、ウガリト文字による文書とは、文字が文字として認識されることがなくなる運命をその始まりから既に内包していたのである。
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