合成六角文字文書群
SYNTHETIC TEXTS ON HEXAGONAL LETTERS
2001 Furuya Toshihiko


 文字は一次元の線状性を原理とするが、確率的連鎖の線状性だけでは成り立たない。文字は遙かに明確かつ原理的な線、即ち筆記線の線状性によって実際上合成されている。ただ、筆記線の選択に確率的空間が存するわけでもない。さしあたって、文字には線の癒着を回避するための空間的配分が用意されている。これは意味の排除から形の排除への過程である。文字は確率論的に定義される情報には一致せず、更に連鎖的な画像の自己同一性ですらないということが明らかになるだろう。形の生み出される瞬間が見いだせるならば、初めてそれ以前の何もない場所へ踏み込むことになる。この作品では、筆記線が六つの正三角形を含む正六角形の十二本の直線から成る六角文字が合成される。この文字は更に三重の連鎖方向を持った六角連鎖文書群として、全長二十メートルの半円形の立面として透過光の中に置かれる。文字が筆記線の線状性のみを原理とすることが透過光によって明らかになるだろう。筆記線の集積は、交差、接合、循環、分割等の厳密な原理に基づくものであるが、今回は接合の原理だけを抽出した比較的単純な構造を設定した。ここにはただ一つの原理が別の原理を生み出す場面を見ることもできるが、このような原理的な生成の過程は実際には文字の固定性にとって全く意味がない。生成原理の成り立ちは合成における便宜的な手順に過ぎないからだ。空間的配分の密度が二重に変化する過程を、文書群全体の配置に見ることができるが、そこに現れるのは我々の日常的文字認識に於ける識閾の相対性である。変化の過程をどこから見るかによって見えるものと見えないものとの境界線は明らかに異なる。この変化は実際には殆ど千年以上の歴史の中でしか発生しない変化である。従ってこの作品に於いて文字の固定性は極めて重要な役割を果たす。固定性は意味と形態の排除と、あらゆる選択の排除とを担った決定の最終的な無条件性であり、通常は長い時間の隔たりによってしか得られない。この固定性の完全な合成を確認した上で、文字認識に於ける識閾の相対性を自覚的に意識しなくてはならない。